浅田真央にとって、競技生活へと戻るか、あるいは別の道へ進むのか、決断する1年。

Number Web によると。

進退を考えれば考えるほど、気持ちが分かれていく。

 浅田はソチ五輪のあと、進退を尋ねられれば、「ハーフハーフ」と答えてきた。そしてその言葉の意味合いにも変化があることを、語ってきた。考えれば考えるだけ、半分と半分とに気持ちが分かれていく胸中がある。

 待望論は根強い。方々に、競技生活への復帰を求める声がある。それらの声にあるそれぞれの理由はどうあれ、浮き彫りになるのは浅田の存在の大きさだ。

 だがもし続けるとなれば、どこまでか。次のオリンピックまで頑張るとなれば3年あまり。「1日1日をスケートに捧げてきた」、そんな日々を再び送っていくには、容易には想像しがたいエネルギーを要するだろう。
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取材の中でよく聞いた「高橋大輔」の名前。

 高橋は2014年10月14日、競技生活に終止符を打った。

 ソチ五輪が終わってから夏、秋、冬と、取材の中で「高橋大輔」の名前をよく聞いた。こちらから尋ねるまでもなく、スケート界の人々は、自然に高橋について語りだした。高橋の一面を再確認させられる話や、新鮮な話があった。それらの話にあったのは浅田同様、高橋の存在の大きさだった。そしてまだまだ伝えられるべき、記録されるべき物語があった。いつか書く機会が得られればと思う。

 浅田と高橋は、日本のフィギュアスケートにあって大きな、大きな役割を果たし、存在感を示してきた。そして引退と休養という道を選んだからこそ、成立したコラボレーションであり、その公演はまぎれもなく、特別な時間だった。
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これからも、2人が笑顔でありますように。

 2014年は終わり、2015年が始まった。

 初回の公演のあと、高橋と浅田は新しい年への抱負も語った。

 「次の大きな夢だったり目標というものを自分の中にみつけられる1年にしたいと思います」(高橋)

 「2015年は、私にとって決断をしないといけないときが来ると思うので、気持ちの流れに任せていきたいと思います」(浅田)

 高橋はプロフィギュアスケーターとして歩んでいくとともに、新しい夢を具体化していくための1年である。

 浅田にとっては、競技生活へと戻るか、あるいは別の道へ進むのか、決断する1年だ。

 ただ、高橋がどのような夢を描くにせよ、浅田がどのような選択をするにせよ、きっと変わらないことがある。2人の、フィギュアスケート界における存在だ。

 場内に響く歓声と拍手は、熱気とあたたかさに満ちているようだった。高橋と浅田のこれからを、これまでと変わらず、ずっと見守るかのようでもあった。そんな幸せな時間と空間が、そう感じさせた。

 フィナーレでは、雪が舞う演出の中、出演した全員が白い衣装で登場した。

 その中に、2人の笑顔があった。これからもそうであってほしいと思わずにはいられない笑顔だった。

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